探してた。
どこか周りから浮く俺がしっくりくる奴を。
出逢って、話して。
確かになる。こいつがそうだと。
これから、近くにあるべき存在(もの)。ずっと傍に在りたい者。
世界で唯一、溶け合える。
それはまるで特注の錠前のように。
★ ★ ★
特別等の屋上。いつの頃からかそこの鍵は壊れ、教師の眼を盗んで生徒が出入りしていた。最もその場を知っている者は極小数であったけれど。
中西は授業をサボってそこにいた。
頭の悪い教師にうんざりし始めているのはおそらく中西だけではないが、サボるという行動に移せる者がそう多い訳ではなく、だから今の時間は屋上には中西一人きりだ。
銜え煙草でコンクリートに寝そべって見上げた秋の空は高く、地上から体育の授業を受けているのか、喧騒が壁を這って伝わってくる。吐き出した煙はゆるゆると空気の中に溶けていき、中西は煙草を携帯用灰皿に押し込んだ。
授業終了のチャイムがなっていたが、中西は動こうとしなかった。
緩やかに吹き抜けていく風が髪を乱す。
不意にたった一つの出入り口の向こうに人の気配を感じ取って、中西は眼を向けた。
きぃ、と耳障りな音を立てて扉が開く。ひょこ、と見慣れた黒髪が覗いた。
「やっぱここにいたか」
聴き慣れた声に、中西は微かに笑む。軋んだ音を立てる扉を抜けて、三上は屋上に姿を現した。
眩しいのか眼を細めて空を仰いだ表情がどうしようもなく綺麗で、中西はゆっくりと身を起こす。風に揺れる黒髪をうっとうしそうに振り払い、三上は中西の傍まで来るとぺたりと座り込んで甘えるように見上げてきた。
犯罪的な可愛さだと思うのは二人の時に見せるこんな仕種のせいで、誰も、そうおそらくは辰巳でさえも知らないこの瞳に中西は際限なく酔っている。
「次、サボるの?」
三上の髪に手を差し入れながら問う。
「数学だからな」
出なくても解ると言外に言い切る三上に呆れて、そういえば自分も同じような理由で此処にいるんだった、とふと苦笑を漏らした。
「中西?」
「うん?」
「おまえは? 次も、サボんのか?」
素っ気無い問い掛けとは裏腹にきつくブレザーの裾を摑む手には気づかないフリで、「三上と一緒にいるよ」と、そう言ってやる。ほっとしたように離れかけた手を引っ張って無防備な三上を腕の中に抱き寄せた。
「なかにし!? いきなりなにす」
文句を吐き出しかけた唇を強引に塞いだのは、柔らかい中西の唇だった。押し付けられたそれは煙草の苦い味がして。
「中西……?」
不安げに眼を眇めた三上に、中西は何? と笑みを浮かべてみせる。
三上の掌がそっと中西の頬を包んだ。
「どうかしたのか?」
「別に? したかったからしただけだよ」
しれ、っと答えた中西をかあぁと頬を染めて睨み返す。けれど緩い拘束から逃げ出そうとはしないから、中西は滑らかな黒髪をゆっくりと梳いた。
実際、中西自身には別段何もない平穏な毎日が続いている。だからこそ飽きていたのかもしれない。変わらない日常に唐突に嫌気が刺すのはよくあることで、だから普段と異なる三上の反応が中西はそういう意味でも好きだった。
緩い風に天使の輪を描く艶やかな黒髪を無造作に流したまま、三上はぽふ、と中西の胸にしなだれかかる。
愛しそうに何度も髪を梳く中西の手の温度が、酷く心地良かった。
「三上」
「うん?」
眼を閉じたまま、中西の声に応える。
「キスしていい?」
耳許で問うてくる低めの声がくすぐったくて、三上は笑う。
「なんだよ、いつもは勝手にしてくるくせに何企んでんだ?」
揶揄う声音に、「じゃあ遠慮なく」とふざけた言葉を吐いて中西は熟れた唇を塞いだ。
三上は抵抗しない。白い面に睫の影が淡く落ちて、それがどこか妖艶にも見えた。
啄むような口接けを繰り返し、中西は自ら誘うように舌を触れてきた三上を絡めて、白日の下に奇妙に捩れた艶かしい雰囲気が満ちていく。恍惚の空間に、唇が僅かに離れた瞬間に漏れる吐息は、中西を狂わすのには十分だった。
屋外だという事実を理解しつつ、誰も来ない屋上だからと理性を無視してブレザーに手をかける。
「おい、中西……!」
流石に抵抗した三上に、中西は不満そうに眼を細めそれでも手を放した。
「時と場合を考えろよな」
「三上が色気振りまくからでしょうに」
「ああ!?」
「はいはい、俺が悪かったです」
不機嫌に眉を寄せた三上に、中西は反省していない様子であっさりと負けを認めた。
中西の手が髪から離れる。
どうしようもない喪失感が何故か押し寄せて、三上は引きとめるようにして中西の手首を摑んだ。
「何?」
「あ。なんでもねぇよ」
自身の咄嗟の行動に、三上は顔を俯けて手を放す。
くす、と軽い笑い声が耳に届いて、強い腕が再び三上を抱き締めた。きゅう、と背中に回された腕に、自然中西の顔に笑みが浮かぶ。
「誘ってるの?」
揶揄する笑みを滲ませた声音に、三上は中西を拗ねたように睨み上げる。
柔らかい髪を撫で、中西の指先が弱く躰の線をなぞる。
「……っ」
突然三上の躰が怯えるように震えた。
「三上? どうしたの」
「い、やだ。さわんなっ」
腕を振り払い、追った中西に抵抗する三上の瞳は『ここ』を見てはいなかった。
「三上!」
怯えた瞳にどうしようもなく不安になって、名を呼んで頬を強めに打った。
大きく見開かれる漆黒の瞳。細い指が、ぎゅう、としがみついてくる。
「なか、にし」
「うん」
頷いた中西の視界の隅を掠めたのは、乱れた衣服の下に咲く緋く色づいた肌。
「三上、これ」
「…………っ」
「――――誰に?」
低い声に三上は瞳を伏せる。
「三上、誰につけられたの」
隠そうとした三上の腕を摑んで、その部位を露にする。一箇所だけではない明らかな情事の跡に、中西はすぅ、と眼を細めた。
「三上の躰に印しつけていいのは俺だけだよ。解ってる?」
「……ああ」
「じゃあ言って。誰につけさせた?」
「――――言えねぇよ」
力なく首を振る三上に、中西の中で枷が外れる。
内情が悪化すればするほど表面が冷静になっていく中西を、三上は押し留めるように首を振って唇を噛んだ。
「何するつもりなんだ? これつけた奴に、おまえ何する?」
「決まってるでしょ。制裁加えるよ」
瞳に昏い光を浮かび上がらせそう言い放った中西に、三上はばっと顔を上げた。
辛そうに表情を歪め、中西の腕に縋りつく。
「やめてくれ」
「どうして庇うの」
「庇ってなんか!」
「じゃあいいでしょ。俺のものに手を出されて、黙ってろって言う訳?」
「……俺の為に、おまえの手が汚れるのは嫌なんだよ。あいつらのせいで、おまえが謹慎食らうかもしれないのに、俺にそれを認めろなんて言うな!」
吐き出したのは、どうしようもない想い。
誰よりも大切だから、自分の揉め事に巻き込みたくなかった。中西の手が、彼らの血に濡れることが嫌だった。
多分それは表沙汰になる。
桐原監督は向こうの非を理解しながら、それでも容赦なく中西に謹慎を与えるだろう。それだけならまだいい。もしも一軍を外されてしまったらと考えると、背筋が凍るような気がした。三上にとってサッカーは自分が此処に存在しているという確固たる証をくれるもので、切り離せない日常の一部であったけれど、中西のいないフィールドは最早意味がないとさえ思える程に、この男は自分の中で大きな割合を占めていた。
こんなにも愛されていると感じたことがなくて、だから「三上は俺のものだ」とそう言い切ってくれたことが何よりも嬉しいけれど。
中西は三上程にサッカーを欲している訳ではないと解っている。それでも自分が中西と共にフィールドに立っていたいから、そんなことをさせる訳にはいかなかった。
事が露呈して、自分の恥辱を知られるよりも、中西とサッカーができなくなることの方が怖かった。
「三上」
中西の声は依然として冷たく、それでも三上を思う気持ちがそこにはあった。
それに気づけない程三上は鈍くはなかったし、だからこそ中西が絶対に譲らないことも解ってしまった。
「中西……」
「もう一回訊くけど、名前は?」
「…………」
抵抗するように黙る三上に、中西は小さく嘆息する。
「わかった。いいよ、言わなくても。自分で探すから」
ぴく、と肩を震わせ見上げた中西は、酷く穏やかな表情で三上を見ていた。
ぞくりと悪寒が走る。
怖いと思った。中西の内に秘められた感情は、もしかしたら自分が思うよりもずっと。
「中西、お願いだから」
言っても無駄だと知りつつ懇願しかけた三上の言葉を吸い取るように、中西に唇を塞がれる。
「止めてもムダ。俺は心の広い人間じゃないから」
「…………っ」
「大丈夫、三上に迷惑になるような忠告の仕方はしないから」
「ちがうっ。俺のことなんてどうでもいいんだよ……! ただ俺は、中に」
「三上」
訴える三上を遮る、優しすぎる声。
「三上が無事でいるなら、俺自身はどうなってもいいから。大切なのは三上だから」
「なかにし」
心臓が痛い。
躰の奥深くに熱いものが溢れ出して、三上はきつく中西の腕に縋った。
(ずるい)
唇を噛む。
こんな風に言われたら、三上が何も言えなくなってしまうのを解っているくせに。
中西との曖昧な関係に独り苦しんでいた三上が不安を打ち消すその言葉に抗えるわけがなく、それが三上の口を塞ぐためのものでなく本心だと判ってしまったから余計に何も言えなくなってしまった。中西が怪我をしたり謹慎になったらと暗い不安ばかりが渦巻くけれど、それよりも何よりもその言葉は重く、三上が反論する術を奪う。
好きだからその手を穢したくはないけれど。
好きだから護ってもらうことが心地良かったりする。
護られてばかりな自分は嫌いなのに、それでも中西の想いが三上には甘く、泣きたくなる程に嬉しかった。
「中西、けがだけは、しないで」
「うん。無茶はしない。約束する」
その約束が護られる保障は、何処にもないけれど。
きっと三上を辱めた人物を前にしたら押さえが効かなくなってしまうことを、中西は知っていた。けれど三上を心配させたくはないし、他に強姦の事実がばれた彼らがまた三上を襲うかもしれないと考えると、二度と手を出したくなくなるような忠告をしなければならないと思う自分もいる。
三上が大切だから彼の意思を尊重してやりたいけれど、中西の大切な者を傷つけた代償はそれなりに取ってもらわなければならない。
腕の中の三上の体温を愛しく感じながら、中西は瞳を閉じる。
たとえどんな処分が自分に下されようと三上が護られるならそれでいいと、そう思っていることを三上が知ったら、本当は誰よりも心優しいこの人はどうなってしまうのだろうか。
泣くだろうか。怒るだろうか。
それでも。
おまえが好きなんだ、三上。
愛してるんだ。
誰にも、触れさせたくない。
END
あとがき。
薫流の中で三上を想う比率が一番高いのは中西なんです。でも一番それを表に出さない人だから、三上を不安にさせてしまうんです。だから三上が愛されていると感じられるように書いたつもりなんですが、やっぱりどこか三上の片思いな感が抜け切れていません……。
最後の言葉も口に出して言えばいいのに。
続きが書けそうな終わりですが、これからどうなったのかは皆さんのご想像にお任せします。
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