銀 細 工  



 空に、青白い月がかかっている。
 静かだった。 きんと耳が痛くなるような、他人の鼓動が聴こえてしまうような静けさ。 一種の緊張感に似た、けれど柔らかい闇。
「 眠れないのか? 」
「 あ、起こしちゃいました? って、違うみたいですね 」
「 お前独り起きさせてられん 」
「 心配してくれてるんですか? 優しいですねぇ 」
「 違ぇよ。 てめぇに任しといたら逃げられそうでな 」
 金髪を月光に反射させ煙草をくわえて火をつける。
「 やだなぁ。 そんなこと考えてませんよ 」
「 ……ふん 」
「 三蔵? 何か怒ってます? 」
 いつにも増して不機嫌に煙をくゆらす三蔵に八戒は訊く。
 柔らかく深い処に訊く。 決して嫌味ではないように。 傷つけないように。
「 耳元で ぎゃあぎゃあ うるさくてな、ばか猿が 」
「 肉〜ってですか? 」
 寝言でまでと八戒はくすくす笑うが三蔵にとってはいい迷惑である。
「 煩悩の塊だな、あいつらは 」
「 悟浄のことも入ってるんですか? 」
「 お前を入れなかったことに感謝して欲しいんだがな 」
「 僕 煩悩少ないですよ。 三蔵と同じくらいです 」
「 あいにくと俺も煩悩の塊なんだが? 」
 目には目を、歯には歯をの要領で嫌味を返してきた三蔵に八戒は苦笑した。
「 でも三蔵? 許容量を超えること(キャパシティオーバー)(ゼロ)と一緒なんですよ。 何も、無いのと同じなんです。 空っぽで全くの無 」
 そこには何も有さない空間。
 吸い込まれて閉じ込められて出たくてかなわないのに、鎖に手足を絡め取られて、その空間から出られない。 上も下もない空間で、けれど何処かにあるはずの見えない床にこびり付いた過去という名の足枷が、絶望という名の戒めで彼らを閉じ込めている。 捉えて離さない。
 有限? 無限?
 何も存在しないのに何かがそこと現実を繋ぎ止めてる。 実在する現在(いま)のものと虚像でしかない過去(むかし)のものを何かがかろうじて繋ぎ止めてる。
 真実? 虚像?
 そんなもの在りはしないのに。 嘘も本当も在りはしないのに、いや、有りすぎて何も見えなくなっていて無だけが溢れてる。
「 くだらんな 」
「 そうですねぇ。 でも僕らは……僕は、その中でしか生きていけないんです 」
 数え切れない命を奪って大切な人を失って何もない暗闇に在るのは罪悪感だけ。
「 貴方達がいなければ僕は今でもあのまま……。 他の妖怪と同じように自我を失っていたかもしれません 」
「 何が言いたい? 俺はお前を助けたわけじゃないぞ 」
「 ええ。 貴方は自分の利益にならないものには動きませんもんね。 では何故あの時、僕を助けたんですか? 」
「 仏道は無殺生だ。  俺は寝る 」
「 三蔵。 一つ、言い忘れていたんですが 」
 ふと変わった声音に深い紫暗の瞳がそれでも不機嫌なまま振り返る。
 八戒は深く微笑んだ。
「 僕は三蔵のこと好きですよ。 ありがとうございました 」
「 ばかか。 お前も一編死んで煩悩落とせ 」
 変わらない毒舌。 これからも変化することのない関係。
 それでも……。
( それでも僕は三蔵が好きですけどね )
 くすっと笑って空を仰ぐ、闇の中で月虹が咲いていた。